There She Goes

小説(?)

Hybrid Device / There She Goes #22

Hybrid Device

Hybrid Device

 

彼や彼女のような発達障害者は定型発達者と何処が違うのだろうかと考えてしまうことがある。今日気づきを得たのは、定型発達者と発達障害者の相違は WindowsMac みたいなものではないか、ということだった。もっと分かりやすく言えば AndroidiPhone みたいなものではないか、と……外見は同じパソコン/スマホだし、同じようなことが出来る。だが、構造というかプログラムが全く違った方向に機能するので、同じようには扱えない。彼らを繋ぐ「互換性」が必要だ。そして言うまでもないが AndroidiPhone の間に優劣など存在しない。あるのは使い手にとっての相性の良さ、それだけだ。

彼が得た気づきその二。彼女の手紙で読んだことなのだけれど、優生思想は逆に脆弱性を増しやすいという。逆に考えれば――犬や猫を思い出してみれば分かるように――「雑種」こそが淘汰に強いのだ、と……この意見を読んで、彼は自分のことを考えた。彼は自分が左翼であるとも思ったことはない。右翼だとも思ったこともない。リベラルだとも思わないし保守だとも思わない。どんな集会に行っても(もしかしたら発達障害当事者の会に行っても)彼は浮いてしまうのかもしれない。でも、と思う。それは彼が「雑種」である証だからではないだろうか?

彼は年収がここのところどんどん下がっているのを実感している。彼に見合うだけの収入がその程度ということなのかもしれない。稼げない……「底辺」という言葉を彼は嫌う。「底辺」という言葉は今では立派な差別語なのではないか、とさえ思う(だから言葉を狩れ、とまでは彼は思わない。そこに差別の意図があるかどうか文脈を読み取ることと、その言葉自体に差別性が現れているかどうかとは繊細な腑分けが必要だろう)。彼は自分が「底辺」なのだろうと思っているのだけれど、それを嘆いていたって始まらないので前向きに生きるしかないなと考えている。

彼女と三度目のリアルでの出会い。どんなことを喋れば良いのだろう? 三度目……初対面とは言いにくい。渡したスティーブ・シルバーマン『自閉症の世界』について語れば良いのだろうか。彼自身再読が必要だが……本のことを語る? 彼女は小学生の頃に内村鑑三を愛読していたと聞いている。彼は高校生の頃になってやっと村上春樹ノルウェイの森』に手を伸ばした程度なので、「勝ち目がない」と思う……彼は負けず嫌いであると、心理テストを受けた時に心理士に言われたのを思い出す。彼は下手なところで誰かと優劣を競ってしまう、劣等感の強い人間なのだ、と。

音楽のことを思い出す。高校生の頃、種ともこを聴き続けていたせいでフィル・コリンズだとかジョージ・マイケルだとかシンディ・ローパーだとかを聴いていたクラスメイトに散々バカにされたこと……だから彼はマニアックなフリッパーズ・ギターだとかヴィーナス・ペーターだとかを聴き始めるようになって、どんどんコアな音楽ファンになって行って……でも彼の知識は「音楽クラスタ」の方のそれとは少し違う。「映画クラスタ」でもないだろう。多分「発達障害クラスタ」でもないはずだ。彼は自分が何処かではみ出しているのを感じる……。

彼女にも「はみ出している」ところを感じている。彼女の思考が既存の枠に収まり切らないものであることを、彼は愛しく思う。だけれどそれを「個性」なんてちゃちな言葉では呼びたくない。「個性」……だというのであればどんな悪しき属性も「個性」になってしまうのだろうか? 彼が自分が発達障害者であることを持て余して来たように、彼にとっては邪魔でしかあり得ないこの「障害」(世の多くの人は「障碍」「障がい」と書きたがるが、彼は敢えて「障害」と書く)もまた「他者の肯定に依って」許されているような、そんな不遜さを感じるのだ。

とまあ、高校生の頃の虐めの思い出のことだとか不器用だった時代のことだとかそんなことを取り留めもなく考えていたのだった。彼が「個性」という言葉を使うとするならそれはどんな既存の枠組みの中に押し込めてしまっても否応なく目立つものである事柄を意味するのだ。彼らがセーラー服や学ランを着ていても、統一されたファッション/ユニフォームに身を固めていても彼女の「個性」は彼の目を引くだろう。それこそが彼女なのだ、彼女らしさなのだ……彼女がどれだけそれを持て余していたとしても。彼女の生きづらさを、例えばヴィム・ヴェンダースベルリン・天使の詩』の天使のように寄り添って共有することは出来ないだろうか?

ふと、こんな時に思い出すフレーズがある。フィッシュマンズの「それはただの気分さ」という曲だ。「君が一番疲れた顔が見たい/誰にも会いたくない顔のそばにいたい」というフレーズ。彼は「愛している」「I Love You」というような陳腐な言葉よりこんな言葉の方が恋人の心を動かすのではないかと考えている。残酷な歌だ。『新世紀エヴァンゲリオン』で有名になった「ヤマアラシのジレンマ」のような……だけれどもそんな不器用でぎこちない心理こそが、彼にとっては最高の「恋」の感情の発露なのではないかと思うのだ。

今日も筆が捗った。いつもこんなに長く書いてしまうのだけれど、彼とてルールを決めているわけではない。書くなら原稿用紙三枚分でも充分だろう。それ以上の数字の文字数を打ち込んでいる……書き過ぎは筆が荒れる、と言われている。でも、彼は一旦書き始めるとここまで書くことを止められない。これも恋の病(?)のせいなのかもしれない。彼はここで一旦筆を置いて――正確にはキーボードを叩く手を休めて――別のことをしようと考える。『シェイクスピアソネット』を読むのはどうだろうか? 彼の中に新たなる活字が投げ込まれ、彼という自我は更に混沌として膨らみ続ける……。