There She Goes

小説(?)

Born Slippy / Take On Me #7

three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった
 

そして、君は今日もロラン・バルトを読み続ける。『テクストの出口』を――。

《残された時間が少ない》、明確でなくとも、不可逆的な秒読みが始まる時が来るものです(これこそ意識の問題です)。人は自分が死ぬものであることを知っていました(人の話が聞けるようになった時から、そう教え込まれてきました)。それが、突然、自分が死ぬものであると感ずるのです(これは自然な感情ではありません。自然なのは自分が死なないと思うことです。だから、不注意による事故が沢山起こるのです)。この明白な真理が実感されると、世界の光景が一変します。(p.126)

あくびが出てしまう。春だ。外は陽光に照らされて、しんと静まり返っている。とろけそうな春の朝……物心ついた時から、君はずっとこの眠気と戦ってきたように思う。倦怠感、疲労感、徒労感……どうとでも呼べるものなのだけれど、その眠さが君をシニカルにさせる。「がんばったってだめだって/努力をするだけむだだって」(電気グルーヴ「スネークフィンガー」)……だから、君は本気になってなにかをやったことがない。いや、本気とはどういうものなのかもわからない。ただ、流されるままになにかをやって、しくじったり裏切られたりした。それだけ……。

フリッパーズ・ギターの『海へ行くつもりじゃなかった』を聴きながら、コロナウイルスの騒ぎで静かに滅んでいく世界を見つめ直す。そうだ。どうせなら三島由紀夫の『豊饒の海』を読み返してみるのはどうだろうか。紛うことなきラノベのようなあの長大な小説……こんな退屈を乗り越えるためには、あの『豊饒の海』の退屈さに浸り直すしかないのかもしれない。毒をもって毒を制す。いや、中上健次全集や大江健三郎の作品を読み返すのもいいだろう。森敦はどうだ? もしくは古井由吉

それにしても、どうしてこんなに眠いのだろう。換気のために窓を開けて、外のひんやりした空気に触れて……君にはもう、将来の夢も希望もない。気がついたら45歳。これからどれだけ生きられるかわからないが、与えられた仕事をこなして生きるだけ。目の前に現れた本を芋蔓式に読み、自分の哲学を太らせていくだけ。それしかできなかった。なんだか失意の連続だったような気もする。迷いに迷い、生きづらい中を必死に生きた。ロラン・バルトを読んでいて、そうか倦怠感も書くための材料ないしは動機になるのか、と励まされる……。

そして、死ぬ。

君は思い出す逸話がある。看護婦が、死を待つ末期の患者たちを世話している。世話は献身的に行われる。だが、その患者たちはいずれ死ぬ。死ぬのだけれど、生きていること自体は尊いこと。だから、生きられるように手を尽くすことが彼女の役目だ。だけど、ある日その看護婦が生命維持装置のスイッチを切ってしまう。順番に。それは、彼女の中の感情が遂に干からびてしまったから。それこそ「終わりなき日常」が続き、そんな中でも人が死んでいく、そんな繰り返しに耐えられなくて心の潤いが枯れきってしまったから。

その看護婦を人でなしと言い放つのはたやすい。だが、これは笑うに笑えない問題ではないかと思う。君も、やることなんてなにもない空白の人生を生きている。生きている以上は生きなければならない。夏目漱石坂口安吾も、そう言っている。ニーチェだって同じことを言っただろう。生の意志が吹き出て溢れ出てくるからには、生きなくてはならない……と。もっとエレガントな口ぶりでだろうと思うのだけれど、ともあれそう言うはずだ。君も、自殺はしない。そして今を、未来に繋げるべく生きる。だけれども、時々「ここで死んでもいいんじゃないか」と思う。一方で、「ここで死んだらなんのための人生だったんだろうな」と思う。

死をめぐって、ぐるぐると思考はめぐる。心の潤いが枯れてしまい、己の死に対してさえも無感動になってしまって……それが生きづらさを生むのだとしたら、生きているという実感をどうやって取り戻せばいいのだろう。わからない。ただ、君はその倦怠感から逃げないことを選ぶだけ。バルトという偉大な先駆者に倣って、逃げずにその倦怠感を書くことの根拠に据えて書くだけだ……彼女はどうしているのだろう。またWeChatで話しかけてみようか。彼女の笑顔を見たい。自分だけで完結しているわけではない。君の世界は他者との関わりによっても成り立っている。それが君をこの世に繋ぎ止める原因になっている。

 

そして、丹生谷貴志を読みたいと思う。実家に本があるはずだ。あるいは図書館で借りればいい。もしくはフェルナンド・ペソア『不安の書』を読み返すか、タブッキの散文に触れるか……不安が、倦怠が、そんなだらしないモチーフこそがマッチョな書き手(ヘミングウェイ石原慎太郎のような?)の作風とは似ても似つかない、繊細で上品な作品を生み出しうることを君は知っている。こんな晴れた日の午後は、仕事もそこそこにそういう作品を読んで、そして過ごそう……。