There She Goes

小説(?)

そこにいてくれてありがとう / There She Goes #17

フルーツ

フルーツ

 

例えば六本指のピアニストが居るとしたら、その人物は五本指のピアニストのために作られた音楽を弾くように指示されて戸惑うのではないか、と彼は考える――アンドリュー・ニコル監督の映画『ガタカ』を思い出しながら。五本指のピアニストのために作られた曲を弾くにあたって、六本目の指は邪魔になる。でも、指が一本多いことは利点になりはしないだろうか。六本指のピアニストのために作られた曲を弾けば良いのだ。そんな曲を作ってしまえば良い……ただ、そんな曲を五本指のピアニストが弾けるわけがないので需要はないのだろう。そこが悩ましい。

彼の話をしよう。彼は自分が過剰な存在であることを常に恥じている。「恥の多い人生を送って来ました」……太宰か。今日図書館で借りたのは芥川龍之介の『年末の一日・浅草公園』と『芥川追想』だったのだが。芥川も太宰も(太宰は芥川賞を遂に貰い損ねた作家であることを思い出す!)結局は自死した。彼らもまた過剰な存在であったこと、自意識を拗らせた作家であったことは疑うべくもない。彼らにとって文学というものは果たして救いだったのか、それとも病を更に拗らせる媒体だったのか。いずれにせよ彼らは彼らにしか書き得ない作品を書いた。それだけは確かだろう。

過剰な存在であることを恥じている、という話に戻ろう。彼は自分の喋り方を恥じている。声が低いこと、籠もり気味であること(カラオケで歌えば「ルー・リードみたい」と言われる、と書けば想像がつくだろう)を恥じている。だから、彼は喋ることがあまり好きではない。先日、彼自身の喋り方をネタにされることがあって彼はそのことを酷く気にしていた。彼の喋り方をネタにした人間に悪意などなかったのだろう。そう彼は信じる。だけど、悪意がないとしたらそれで全ては許されるのだろうか。彼だって人間なのだ。

彼は自分が異性から必ずしもモテるタイプの人間であるとは思っていない。逆だろう。毛深く、小太りで背も低く、酷い近眼で運動神経も良くない。力持ちではない。色白でインドア派で……子どもの頃から彼は女性に散々嫌われたことを思い出す。キモいという言葉こそ当時はなかったけれど、そんなような言葉で散々罵られた思い出……中学生の頃がピークだったな、と思う。ブラスバンド部で女性ばかりの部活動の中、先輩からも後輩からも「帰れ」と罵られたことを思い出す。思い出すとキリがなくなる。恥の多い人生……。

そんな彼はだから、居心地が良いという気がしない。戦時中を潜り抜けて来た人間が平和に馴染めないように。清岡卓行の詩文を思い出す。「愛されるということは 人生最大の驚愕である」……彼はいじめ(と言ってしまおう)を潜り抜けて来た。散々なディスコミュニケーションを体験して来て、異星人やロボットのように扱われて――彼自身もどちらかと言えば道化師のように振る舞えば周囲と馴染めると考えてしまったので――自意識を過剰に研ぎ澄ますようになってしまったのだった。「ひとがわらたり友だちがなくてもきげんをわりくしないでください。ひとにわらわせておけば友だちをつくるのはかんたんです」……彼の好きな一文だ(また別の作品からだが)。

過剰に自意識を拗らせた人間。それは喩えるなら「What else should I be? / All apologies」と歌うような人間なのだろうと思う。誰も謝れと言っていないのに謝る人間……ここで「生まれてすみません」という言葉をまた思い出し、今日は太宰尽くしだなと彼は独りごちる。彼は必ずしも太宰が好きではない。三島よりは優れていると思うが、芥川のことを考えたい(芥川の方が優れている、と彼は彼らの作品をさほど読んでいないのに考える)。なにはともあれ、彼らに文学があったことは救いだったのかもしれない。それが自殺の引き金になったにしろ。

今日の彼の考えは、と書いてみて考える。結局自殺へと辿り着いてしまう。だとしたらエリオット・スミスを聴くのも良いのかもしれない。でも、と彼は思う。彼もまた自殺未遂を繰り返した人間なのだけれど――六年ほど前にオーヴァードーズの末に胃洗浄まで体験したことがある――今の彼は自死に依って人生を閉じることを考えたくない。それは結局彼女が居るからなのだろう。彼女が彼のことをどう思っているか、それは今はどうでも良いことだ。彼女もまた彼に石を投げる側の人間なのかもしれない。でも、彼は彼女を愛している。

彼女を愛している……彼女が居るから彼は生きていられる、そんな気がしている。人がただそこに居てくれるだけで、それを有難いと思える。それは「愛」と呼ぶに値しないだろうか。彼の大好きなシンガー・ソングライターの曲のタイトルを思い出す。「そこにいてくれてありがとう――R・D・レインに捧ぐ」。彼はこの言葉を彼女に向けて語り掛けたいと思う。ともあれ彼は彼女に会うまでの月日を耐えようと考える。今日はもう遅いから悪いことばかり考えてしまうのだ。明日のことを考えるとする。明日ジュンク堂書店で『黒沢清の全貌』を買おう、と。

彼女が彼女自身のことを嫌っているのかどうなのか、彼は知らない。彼女もまた自殺未遂を繰り返したと聞く。だというのだとしたら、掛け替えのない命が失われようとしたその危機は如何ほどのものだろうか、と……素敵な女性だと思うのに。彼女がその「素敵」を抹消しようとしただなんて。彼は彼女を、その自己嫌悪から守りたいとさえ考える。彼女を消すものから、彼は守りたい。それがなんであれ――それが世界の悪意だとしたら世界の悪意から、彼は彼女を守りたい。彼女は孤独ではない、そう彼女に伝えたい。彼もまた独りぼっちだったのだから。

ただ、独りぼっちだった人間、「恋」や「愛」を知らないで育った人間に果たして「恋愛」が出来るだろうか、と彼は考えてしまう。与えられたことのない承認を彼はどう彼女に対して与えたら良いというのだろう。その過剰な善意で、卵を握り潰すように抹消してしまうのではないだろうか……今日もまた書き切った。続きは明日書こう。