There She Goes

小説(?)

ディスコミュニケーション / There She Goes #42

今日は彼はロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』を読んだ。 

恋愛のディスクール・断章

恋愛のディスクール・断章

 

恋愛の生を織りなすもろもろのできごとは、すべてが驚くほどにくだらぬものばかりである。最高のきまじめさと結びついたこのくだらなさこそが、まさしく不都合なのだ。電話がかかってこないからというので、わたしは本気で自殺を考える。そのとき生じるみだらさは、サドの教皇七面鳥相手に鶏姦を犯すみだらさに比肩されうるものなのだ。ただし、恋愛の感傷性というみだらさには、サドのみだらさほどに怪異なところがない。そのことが、恋愛のみだらさをますますみじめなものにしている。「この世界には飢えで死ぬ人々が数多くあり、多くの民族が自由のための苦しい闘争を続けているというのに」、恋愛主体は、相手が不在をよそおっただけで涙に暮れている。これ以上の不都合さはあろうはずもないのである。

長くなるが引用してみた。難しく感じられるかもしれないけれど、虚心に読んでみれば驚くほど単純なことが書いてあることに気がつくはずだ。要は単に相手から連絡が来ないことの悲しみが書かれているのである。「恋愛主体は、相手が不在をよそおっただけで涙に暮れている」……バルトの『恋愛のディスクール・断章』はそう言った、相手からなんの連絡もないことの悲しみが書かれている。今で言うところの既読スルーに対する悲しみが書かれている、と言ったら良いだろうか。それが今の彼には身に沁みるのだ。もっとも、彼は自殺まで考えないけれど……。

サド、ニーチェプルーストゲーテ……読んだことのない思想家のテクストが引用されるこの本を何処まで理解出来たか、彼には心許ない。まずはプルーストの『失われた時を求めて』をまた読み始めようか。彼の言葉が彼女には届かないことに悲しみを感じつつあるけれど、またふたりで話せる機会があれば……そんなことを考える。

『恋愛のディスクール・断章』を今読めるようになったことと彼の恋心は関係がないわけではあるまい。恋(?)に悩み続ける彼にとって、バルトのテクストは慰撫する文章として映るのである。飛ばし読みしたのでまた読まなくてはならないのだけれど、マッチョイズムから遠く離れたバルトの書きぶりは中性的/女性的で親近感を覚える。

恋愛の終わりの悲しみを何度となく確認するテクストは、そしてそれについて書く(エクリチュール)テクストは、幾度となく言い淀み、躊躇う……断章形式で語られるテクストは結論を急がない。深く掘り下げられるのではなくせっかちに思いつきがメモランダムとして書かれて、そしてその思いつきが集積することで曖昧な中に蜃気楼のように恋愛の姿が浮かび上がる。なかなか見られないテクストだ。バルトは素晴らしい……そう考えて『彼自身によるロラン・バルト』を読んでいるところだ。こちらもまた読む手を止めさせない。

彼女はバルトを読んだりするのだろうか? 訊いてみたい……彼女はしかし彼のことをなんとも思っていないので、訊くと墓穴を掘りそうな気もするので訊けない。ここでまた戯れにページを繰ってみて、一節を引いてみることにする。「愛する人の疲れきった声ほどに悲痛なものはない」……彼女の「疲れきった声」。だけれども、と彼は思う。その傍に居たいと思うこともまた「恋愛」なのではないだろうか、と思う。バルトへの反証(?)として、フィッシュマンズを持ち出すこと。「君が一番疲れた顔が見たい/誰にも会いたくない顔の傍にいたい」……こんな歌詞がふと頭をよぎる。

バルトと言えば『偶景』のテクストも読み応えがあると教わったので、それも読んでみようかなと思っている。また戯れにバルトを引こう。

裏返し。「どうしてもあなたのことがわからない」とは、つまり、「あなたがわたしのことをどう考えているのか、どうしてもわからない」ということなのだ。わたしにはあなたが解読できない。あなたがわたしのことをどう解読しているかわからないからだ。

これもまた難解そうで単純なことを語っている。ディスコミュニケーションについて語られているのだ。彼女が彼「のことをどう解読しているかわからない」……彼女は彼をどう思っているのか分からない。それが彼にとっては悲しみとなる。だからこそ彼は彼女を解読出来ない。彼とは何者か、彼女とは何者か。このふたつの問いはワンセットである。相手が居なければ自分は分からない。鏡がなければ自分の姿が分からないように、外部から彼を教える言葉が必要となる……そんな当たり前のことが書かれている、と彼は読む。

今日はここまでにしておこうか。彼はこれからもバルトを読み続けるだろう。そして、彼は「恋愛のディスクール」について考える。それを止めることはない。きっと、これからも傷心を抱えたまま…… Hurtbreak Wonderland を放浪し続けるのだろう。ずっと……。