There She Goes

小説(?)

欲望 / There She Goes #30

スロー・ソングス

スロー・ソングス

 

「Is there any reason not to die / If this love I feel must always be denied?」……このフレーズはもう引いただろうか? モーマスの「1999年の夏休み」という曲からだ。「もしこの恋だと感じているものが常に否定されているとしたら、死なないでいる理由なんてあるのだろうか?」というような意味である。恋しているというこの感情が、なんらかの形で否定されるのだとしたらそれは死に値する……彼自身はこのフレーズを重く受け留め、そして彼自身がなにはともあれ「恋」だと感じているこの感情を整理したいと考える。

久しく更新して書き続けることのなかったこの小説(?)では同じことを繰り返しているかもしれないのだが、過去ログを探すのも面倒だしご寛恕願いたい。彼は彼女と再び会いたいという欲望に囚われている。彼女と面と向かってじっくり語らったあの時間、緊張感溢れるけれど、武士と武士が刀を戦わせて火花を散らしているような空気だったけれど楽しかったというあの時間を取り戻したい、また会いたい……そして彼に対する最後通告を聞きたい、と。告白したけれど結局彼女とは LINE でもメールでも音沙汰がない。結局既読スルーということは空振りだったのかもしれない。それならそれで良い。きっぱりした拒絶の返事を聞ければ、それで諦められる……。

彼は情動に依って動く人間である。この「恋」という感情と二度戦ったことがある。二度とも女性に対して抱いた感情だった。一度目は彼女のことを告白こそしなかったけれどソウルメイトだと思って、ネット上で交際を始めたのだけれど好きという感覚が芽生えて東京まで赴いたのだった。そこで彼女から、実は自分は結婚することになったからという事実を聞かされ、そして今ではメール友達としてあるいは年賀状を送り合う仲としてキープし続けられている。旦那は居るので異性の友達といった感覚だ。これが一度目の「恋」である。

二度目の恋はネット恋愛。ネット上でどうしても気になるという方と Twitter で交際したのだった。だからリアルでは彼女は――バイセクシュアルということなので――彼氏か彼女が居るのだろう。ネット上では親密な交際をさせていただいている。これもまたひとつの異性の友達といった感覚なのだろう。異性間での友情は成立すると、この二度の体験を経て彼は考える。彼の身の回りには他にも「異性の友達」と呼ぶに相応しい人物が幾人か居る。「恋」には鈍感なくせにこういうことに関しては恵まれているのだった。

情動に依って動く……自分でもワケの分からないものに依って突き動かされる。自分でもワケが分からない。彼は論理で物事を考える人間なのだが、しかしその論理を成り立たせるものは非論理からである。不条理な衝動、情動、情欲、欲望……そういった物事を整理するために言葉を並べ立て、そして理屈を形作り動くことになる。それは発達障害(特に ADHD)とも関連があるのだろう。逆に言えば彼はそれだけ理屈を超えた情動の動きに弱いので、鬱や躁になったり天候のせいで精神的なコンディションが悪くなったりする。感じやすい、波があるというやつだ。

それにしても、と考える。いや、「恋」というやつについて考えていたのだがふとここで考えを改めて今考えていることを整理したくなったのだ。彼女に対する心理に関してはまたいずれ幾らでも書けるだろうから、それは言葉になるまで煮詰める作業を行いたい。彼は彼女と出会い、支援施設の方と出会い今があることについて考え始めたのだった。ここに来て人生は格段に生きやすくなっていないだろうか? 発達障害とはなんなのか分からなかったが故に苦しんで来た二十代、酒に溺れて依存症になってどうしようもなくなった三十代が嘘のように、人生はイージーモードに入ったような気がする。

シェアハウスの件といい、彼女の件といい、現在繋がらせて貰っているグループの件(断酒会と発達障害当事者たちの集いの会)といい、そこからサポートの手が差し伸べられ、こんなに生きやすくなるための方法があるのかと目からウロコが落ちる日々が続いている。人から「いや、そこまでして支えて貰わなくても」と思ってしまうような、そんな環境である。四十代にして、棚から牡丹餅が次々と落ちて来始めているようなそんな状況……そこでならどんなしくじりも笑って受け容れられる。彼自身のしくじりをひとつ書くことだって許されるだろう。それを書いて今日の更新を締め括りたい。

彼は、自力で髭を剃ることが出来るようになるまでに四十年掛かった。電気剃刀で髭を剃っていたのだけれど、口元の硬い髭は剃れるのに頬の柔らかい髭は剃れないで困っていたのだった。おかしい、なにかがおかしい……『ノルウェイの森』を読んでも『コインロッカー・ベイビーズ』を読んでも、『ボヴァリー夫人』を読んでも『罪と罰』を読んでも髭の剃り方まで書かれていない。ある日シェービングジェルを塗ってT字剃刀を使うという方法を思いつき、物は試しで挑んでみたらツルッと剃れたのだった。こんな簡単な方法があるのだ……これもまた目からウロコだった。

この話をしたら、それはハイパーレクシアではないかという話になった。過度に活字に依存する人間のことをそう称するらしい。それについては調べていないので詳述は避けるが、これもまた発達障害故の特性なのだという説明がつく。今となっては笑い話として書けるが、困っていた時期があったのだ……なにもかもが遠い過去の話のように思われる。簡単な方法があるのだ。誰もが同じような悩みごとを抱えて、そして助け合って知恵を出し合って生きているのだ……その有難味をしみじみと噛み締めながら、この拙い文章を締め括りたい。