There She Goes

小説(?)

I'm Not In Love / Take On Me #2

THE BEST - Baby Baby Baby xxx

THE BEST - Baby Baby Baby xxx

  • アーティスト:CHARA
  • 発売日: 1995/10/10
  • メディア: CD
 

とどのつまり俺なんて、生まれてこなければよかったんだ――。

君は春になるといつも自殺したくなるのを感じている。実際、君みたいな人間にとって春というのは厄介な季節だ。ピカソだっただろうか? 飛び降りたくなるのを自分の右手で必死に制しているような状態、と語っていた。春。カート・コバーンもhideもこの季節に自殺したのを覚えている。君が自殺未遂したのはいつのことだったか。

生まれてこなければよかった。でも、生きている。ということは、俺の人生は間違いだった。ここに存在していることも、ここに生まれてきたことも、これから死ぬことも、全てひっくるめて間違いだ。なぜだろう? それは、俺が俺だからだ。だというのであれば、死ねばいい。でも、死ねない。なら、ここにいるのが俺だということを忘れさせてくれるものが欲しい――そう思って、酒に溺れて本を読み漁ってきたのではなかっただろうか。

何度でも書く。恋愛は、自明なものではない。恋愛にまつわる様式も、恋愛の美学も、恋愛が素晴らしいという価値観も、全て人間があとからでっち上げたものだ。人間が恋愛というフィクション/イメージを必要としたから作り上げられたものであって、昨今の恋愛至上主義なんてものも全てはバカげている。だから、恋愛ないしは恋愛至上主義に染まれない自分は正しいのだ。そう思おうとした。

それは半ばまではうまくいったように思った。君は、キスもしたことがない。手を繋いだことはある。学校でのフォークダンスの時間(あの、相手の女の子の嫌そうな表情!)。でも、それ以上の関係はない。求めたこともないように思う。求めなければ、拒絶もされない。裏切られたと思う気持ちが生まれるとしたら、それは期待していたからだ。女性に対してなんの期待もしなければ、裏切られたと思うこともないだろう。

この理屈を敷衍させると、生まれてきたことを悔いる気持ち、生まれてきたことそれ自体を恥じる気持ちは、人生に対してなにかを期待しているから生じるものなのだ。なにを? それは有り体に言えば、「人並みの幸せ」なのかもしれない。人並みに恋をして、結婚をして、家族を築いて、マイホームを建てて……そんな幸せ、君はとうの昔に諦めていた。子どもの頃から君は、普通の人間にはなれないと思っていたのだった。将来、自分は頭がおかしくなって、そして死ぬんだ……。

恋を諦めて、幸せを諦めて……そして生きることも諦めていた。V・E・フランクルという医師の講演録を読んだことがある。フランクルアウシュヴィッツでの壮絶な体験に基づいた書物である『夜と霧』を書いた人だったが、彼はこう言っている。君が人生になにを求めるか、ではない。人生が君になにを求めるかを考えるんだ。そう語っている。これは確かに勇気づけられる生き方だろう。自分を人生が取り巻いていて、支えてくれている、抱擁していると説いているのだから。

しかし、だというのだとしたら人生は君に対してなぜこんなにも厳しい仕打ちをしないといけなかったのだろう? いや不幸の程度は測れない。アウシュヴィッツでの壮絶な体験は確かに筆舌に尽くし難い不幸だけれど、君が感じた不幸は君だけのものだ。それを比べてどうこう言ったりできない。だが、だとしたらなぜ人生は君「だけ」に君「だけ」が体験しなければならない不幸を課したのだろう? 良かれ悪しかれ、君は君の不幸の中で考え抜いた。君は若きフランツ・カフカであり、ウィトゲンシュタインだった。

 

……ここまで書いて、君はふと野矢茂樹ウィトゲンシュタイン論理哲学論考」を読む』をパラパラとめくってみたくなる。そして、次のような一節を見つける。

世界の事実を事実ありのままに受けとる純粋に観想的な主体には幸福も不幸もない。幸福や不幸を生み出すのは、生きる意志である。生きる意志に満たされた世界、それが善き生であり、幸福な世界である。生きる意志を奪い取る世、それが悪しき生であり、不幸な世界である。あるいは、ここで美との通底点を見出すならば、美とは私に生きる意志を呼び覚ます力のことであるだろう。(p.305)

難しいことは書かれていない。なんなら人生論的に読んだっていいだろう(人生を肯定してくれない哲学を、短い人生を費やして読む必要なんてあるわけがないのだから)。生きる意志があれば、その意志を煮えたぎらせてくれるものがあれば、「善き生であり、幸福な世界」は実現できる。そして、その「力」は「美」によって生まれるものである。

……「美」。君は不幸な人生を送ったかもしれない。しかし、その人生で人一倍「美」に触れて生きてきたのだった。例えば、今聞いている新居昭乃の曲。さっきまで聴いていたCHARAの曲。今引用した野矢茂樹の本も「美」に満ちた本だ。

彼女もまた、「美」だった。君の人生に潤いをもたらしてくれるような、そんな……。