There She Goes

小説(?)

それはただの気分さ / There She Goes #52

Aloha Polydor

Aloha Polydor

 

夜中、ふと目が覚める。そして、また眠りに就くまでの時間を無為に過ごす。マルセル・プルースト失われた時を求めて』の冒頭の眠りに就く描写が思い出される。何度も読もうとしては挫折した箇所だ。長ったらしい描写……しかし、ノーガード戦法で逐語的に理解するのを諦めて、文章の流れに身を任せて読めば意外とスラスラと頭に入って来る。彼は『失われた時を求めて』を読み通そうと考えているところだが、挫折してしまったのでまたイチから読み直すつもりである。読書なんてただの気晴らし……なにをどう読もうと勝手ではないか。

彼女のことを思い出す。彼女は眠っているのだろうか。フィッシュマンズの曲の歌詞を思い出す。「眠ってる君を思い出すんだ/眠ってる君が一番好きだから」……眠れるということは取りも直さず精神的に安定しているということだ。彼女が眠れていると良いなと思う。彼女はどんな夢を見るのだろうか。電気羊の夢? そして、彼はフィッシュマンズを聴く。「みんなが夢中になって暮らしていれば/別になんでも良いのさ」……彼はこの一節に随分救われて来たことを思い出す。金なんてない。贅沢は出来ない。だけれども、ご飯は美味しいし好きなことを好きなように出来る。それが幸せってやつじゃないだろうか?

そして、「それはただの気分さ」という曲を聴く。デモトラックのまま、遂に完成されないで残されたフィッシュマンズの曲……「君が一番疲れた顔が見たい/誰にも会いたくない顔のそばに居たい」……彼女の傍に居たい、と思う。彼女は高知能を有している。だからこそ生き辛さを感じている。彼女の側に居てなにか出来るわけではない。彼は無力だ……『ベルリン・天使の詩』の天使のように。だけれども、彼女の側に居て生き辛さを共有出来れば、こんなに理想的なことはないのではないかと思うのだ。だが、恋愛は彼女の気持ち抜きには成り立たない。だから彼は二の足を踏む。

なにか迷った時、なにか人生の生きる道を見失ったと思った時、彼はフィッシュマンズを聴く。フィッシュマンズの曲の中に全ての答えは隠されているように思う。あまり稼がなくても良い、あまり働かなくても良い、あまり贅沢出来なくても良い……生きていて、生きる意味を追い求めないで気楽に暮らしていければ良い。そういう生き方を選んだのは二十歳頃に『空中キャンプ』を聴いてからのことだ。彼は一応早稲田を出たのだけれど、年収は二百万にも届かない。だけど、そんな人生を選んだのも自分自身だ。誰のせいにもしたくない。

古井由吉『仮往生伝試文』を読み、この心臓が止まってしまえば自分はお終いなんだなと考える。「往生するよりほかに、ないんだよ」……酒に溺れていた頃は作家になること、名を残すことが幸せ/成功だと考えていた。裏返せばなにも名を残せないこと、有名になれないことは不幸だと考えていた。だから苦しかった。今は違う。酒を止めてシラフで食う飯は旨いし、仕事は好きなように出来て楽しい。自由自在に生きていける。こんなに幸せなことはないではないか……貧乏だけど贅沢、と沢木耕太郎は語っていなかっただろうか?

あるいは、森敦を読むのも良いかもしれない。岡田睦を読み返すのも良いだろう。四十で死ねたら本望と考えていた人生……今は四十四。四年間はオマケのような人生だった。今生きていられることを不思議に思う。先は長くないかもしれない。「そろそろ近いおれの死に」……こう呟いたのは金子光晴だっただろうか。いつ死んでも良いように、今最高のパフォーマンスを発揮して生きる。それは堀江貴文から学んだことだ。森敦は読もう読もうと思って読めていなかった作家なので、全集を借りて読むつもりである。どんな風にでも生きられる……アナーキーなクソジジイとしての人生を全うするのも悪くないかもしれない。

貯金はない。二千万円貯めるなんて夢のまた夢。生活保護まで考える始末だ。先は暗澹としている……だけれども、物の豊かさにこだわらないで図書館で借りた本を好きなように読み、グループホームで美味しい手作りの飯を食べるのもひとつの幸せのあり方なのではないか、と思う。アキ・カウリスマキの映画のように……あるいは是枝裕和万引き家族』のように。そして、未来の中には希望はひとつ残されている。その希望は彼女とワイワイやっていくこと。彼女を愛し続けることだ。もっとも、これが愛なのかどうなのか彼には分からないのだけれど……。

彼女の傍に居たい、という気持ち。そして、彼女の傍に居てはいけないのだ、という気持ち…… With Or Without You... このアンビバレンスな気持ちの中で彼は揺れ動く……「それはただの気分さ」……。