There She Goes

小説(?)

ベステンダンク / There She Goes #50

「AWAKENING」 standard of 90’sシリーズ(紙ジャケット仕様)

「AWAKENING」 standard of 90’sシリーズ(紙ジャケット仕様)

 

彼が住む町に彼女が帰って来た。彼はデパートメント・ストアで接客業をしているのだけれど、その売り場に彼女が母親と一緒に現れたのだった。発達障害者は接客業に向いていないと言われているのだけれど、果たして上手く行ったかどうか。訊いてみるのも怖いので訊く気がしない。

本題に入ろう。「迷い」について書くなら、迷ったことは四年前の四月三日が挙げられる。この日、彼は偏頭痛で倒れたのだった。職場に連絡して休暇をもらい、家で寝込んでいた。その日、一日だけ酒が止まったのだった。それまで彼は休肝日も設けず毎日――本当に「毎日」――呑んだくれていたのだった。

酒に溺れた切っ掛けは、まだ彼が発達障害者だと自覚していなかった頃まで遡る。大学生の頃のことだ。就職氷河期世代の彼は全然何処の会社からも採用されなくて、ヤケになった挙げ句会社訪問の帰りに発泡酒に手を伸ばしてストレスを解消する癖が身についた。それはニートになってからも、今の会社に拾われてからも変わらなかった。毎日、あの Γ-GTP が 1000 を越えても(!)呑んだくれる日々を過ごしていた。

自分でも病的な飲酒であることは分かっていた。安月給でカネのない身が毎日何故あんなに酒を呑めたのか、今でも不思議でしょうがない。ともあれ彼は自分の乏しい稼ぎを全てと言っていいくらい酒に費やして、休みの日は朝から呑んだくれていたのだった。ドクターストップが掛かっても、遂にはオーヴァードーズで自殺未遂をするに至っても呑んだくれた。そこに見るに見かねた障害福祉課の方が連絡を寄越して来て下さった。だが、それでも彼は酒を断つ決心をつけかねた。

そして、運命の四月三日である。その日一日酒が止まったことは既に書いた。その日以後、酒抜きで生きるか酒を呑み続けて四十で死ぬか。フランツ・カフカは四十で逝った。それもまたひとつの人生だろう。彼は酒に手をつけて死ぬことを選ぶ選択肢を選ぶことだって出来たわけだ。生きていても先細り、将来なんて見えている……生活保護の話が出るくらい行き詰まっていたどん底の人生だ。これから良くなることなんてなにもない。それでも生きることを選ぶか?

悩んだ。迷った。挙げ句の果てに、どうしてかは彼にも分からないのだけれどその手は障害福祉課の方への連絡に繋がった。酒を止めます、断酒会に入会させて下さい、と頼んだのだ。それはこれからの人生を本当に、どんな辛いことがあっても苦しいことがあっても酒抜きで生きることを意味していた。そんな人生がどんなものなのか彼自身想像もつかなかったが、ともあれ彼は生きることを選んだのだ。

それから……色々なことがあった。前にも書いたかもしれない。断酒会で様々な経験を積んだ。色んな人が酒で悉く失敗してしくじって来た。仕事を失った、家庭を失った、社会的信頼を失った、財産を失った……もっと酷い人は健康を失った。お酒の影響で脳に障害が残った人が居られたのだ。その方はシラフになってももう、まともに喋れない。障害のせいだ。だけれども、酒を断つ決意をして人前で体験談を発表していた。それを彼は聴かせてもらった。ろれつが回らない状態なのでなにを語っているかさっぱり分からなかったが、言葉を越えてビンビン伝わるものがあった。

そこで思い知ったのだった。人生、腹を括れば何処からでもやり直せる。逆に言えばやり直すためには腹を括るしかない。発達障害者として生まれて来た不幸を嘆き続けて生きるも一生、それでもなお前のめりに生きるも一生なのだ。同じ空の下でシラフで戦っている人が居る。自分も人生に、己に負けていられない。彼はそれからも断酒会に通い、お陰様で四年の時期をシラフで生きることが出来た。

彼に残りの人生がどれだけあるのか分からない。さほど長くは生きられないかもしれない。だが、彼は自分の人生が酒抜きであっても幸せであることを感じられている。仕事は相変わらずの安月給。だが、グループホームでシラフで食べるご飯は美味しいし、支援して下さる方々は温かい。彼女ともめぐり会えた。生きているその瞬間を楽しめている、堀江貴文的に言えば「今」を充実して生きられているという実感がある。それがなによりも嬉しい。

今、彼は幸せである。そしてそれはもちろん、彼に与えられたセカンド・チャンス、あの四月三日があったからである。あの日の決断を翻して、また酒に手をつけたいか? いや、と思う。あの日に戻ることだけは避けたい。酒で苦しめられて、最後の最後は精神科医の前で泥酔した姿を晒したあの日々にだけは戻りたくない。今、シラフで辛うじて生きられていることを彼は本当に感謝している。感謝はドイツ語で「ベステンダンク」と言うらしい。彼はフランス語を学んでいるのだが、このドイツ語は高野寛から学んだ。この言葉が好きだ。今生きられていることに感謝、太陽が射し、雨が降り、日々の糧があること、全てに「ベステンダンク」だ。