There She Goes

小説(?)

YARUSE NAKIO の BEAT / There She Goes #49

そして、またしばらくなにも書かなかった。なにも起こらなかった。彼は 43 年の月日を生きた。ということはつまり、なにはともあれ死ななかったということになる。一度もだ。だから彼は自分に宛てて手紙を書いた。おめでとう。よく頑張った。この 43 年間、二度オーヴァードーズをして胃洗浄もして、死ぬ寸前まで行って、そこから survive して来たのだった。だからこれからは自分の思い通りに生きていけば良いのだ、と……これは『ヘン子の手紙』という本に触発されてやったことなのだけれど、そこそこ良い結果は出ているのではないだろうか。 

ヘン子の手紙: 発達障害の私が見つけた幸せ (学研のヒューマンケアブックス)

ヘン子の手紙: 発達障害の私が見つけた幸せ (学研のヒューマンケアブックス)

 

順風満帆な人生ではなかった。就活で躓いて以来先が全く見えない二十代を生きた。自分が発達障害者だと分からなかった時代、アイデンティティを探して大江健三郎中上健次を読み漁った時代を思い出す。藻掻き苦しんだ。東京で行われたオフ会で会った女友達に言われた言葉で自分が発達障害者だと分かり、正式に診断も下された。それを会社に伝えた。でもなにも為されなかった。当時は発達障害について彼自身もなにも分かっていなかった。そのメカニズムも、特性を活かした仕事のあり方なんてものも全然アイデアの欠片さえ掴めていなかった。だからまあ、当然のことだっただろう。それが三十代で、彼はアルコールに溺れた。

アルコールから脱してなんとか断酒会の門を叩き、そこから先もまた困難の連続だった。酒抜きで活きる人生はしんどい。クロスアディクションというのだろうか、彼は買い物をしてしまう癖があるのでその散財で悩まされた。今月 15 日に行われた断酒会で同じクロスアディクションで悩まれた方の体験談を聴かせてもらったことが切っ掛けとなって(その方はパチンコで一日 20 万から 30 万使ったそうだ。彼の月収を軽く上回る)、踏ん切りがついたのだった。それ以来買い物はしていない。強いて言えばフランス語の教材を買おうかなと思っている程度だ。

とまあ、今もど底辺を彷徨い歩いている身だ。仕事は障害者枠で、フルタイムというわけではない(正規雇用? 何処の世界の話だ?)。その日暮らしに近い人生……だけれども、二十代・三十代先が全く見えなかった時代を思い起こしてみれば、ここには確かな「光」があることが分かる。それはなにかと言えば断酒会の先人たちが体験して来られた壮絶な体験談から学ばされる回復への旅の道標だ。それはもう「一生涯」掛けて行われなければならない類のものなのだけれど――それでも、確かに「光」はある。歩いていけば良い道がある。その道をひたすら歩くだけ。それが彼に垣間見える希望なのだ。

ここで『ショーシャンクの空に』を引き出すのは無粋だろうか。ラスト近く、「必死に生きるか、ひたすら朽ちるか」(というのが彼の拙訳だ)という問いに答えを出したモーガン・フリーマンの姿を彼は思い起こすのだ。彼は「必死に生きる」「希望」を見出し、それに掛ける。彼自身、自分がどうなりたいのか分からなくなってしまうことがあるので、またあの映画を観てみようかと考えている。『ショーシャンクの空に』と『ガタカ』は若いうちに観ておいて損はない映画だ。

あるいは、青木新門から学ぶのも良いのかもしれない。青木新門を読み、親鸞に触れるのだ。この「There She Goes」の始まりが青木新門の言葉だったことを思い起こそう。彼は青木新門に触れて「小説」を書く決意をしたのだった。そう、今書かれているこのテクストが彼が書き得る唯一の「小説」なのだった。これ以外の「小説」を彼は書けない。 もし数多とある小説が本当の小説で彼が書き続ける「小説」が小説に値しないというのであれば、それもそれで良い。どんな世界にだって変態はひとりくらいは居ても良いのではないだろうか。

青木新門の親鸞探訪

青木新門の親鸞探訪

 

ともあれ、今日も彼は生き延びた。ここで字数も尽きる。終わらせよう。