There She Goes

小説(?)

午後の曳航 / There She Goes #45

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週末彼はまた彼女と会う……予定ではそうなっている。ただ、彼女の体調が優れないことを考えれば会えるかどうか分からない。長い不在……。

恋がそもそもの出会いの場から、咎むべきものと見なされるのはなぜだろう? してはいけないことと知りながら、恋をしないではいられないのは、なぜか?

おそらくそれは、恋が自分を手放す歓びと不可分であるからだろう。

恋とは自分を手放し、恋人に与えることだ。ボードレール風に言えば、自分の外に出ることだ。

自分を手放し、空虚になる。欠如の穴のような存在になる。デュラスが『ロル・V・シュタインの歓喜』で描いた「歓喜 ravissement」。魂を奪われること。喪心。それは確かに死ぬほどの歓びであり、そのような並外れた歓びに対して、それを禁じる掟が立てられるのは当然かもしれない。

恋する人は予感しているのである、――自分がこれから味わうのがこの世のものとは思われぬ悦楽であることを。

――鈴村和成『愛について――プルースト、デュラスと』

今日は読書が捗った。マルセル・プルースト失われた時を求めて岩波文庫版第四巻を途中まで読んでいて放り出していたのだが、挫折させずにそのまま読み終えてしまったのである。恋の病に悩んでいるからなのか、興味深い読書となった。まあ、この年齢になって思春期の病みたいなものを抱えている方が可笑しいのだけれど……。

鈴村和成のテクストを読み、読んでいないマルグリット・デュラスを読まなければと思わされる。『失われた時を求めて』の「花咲く乙女たちのかげに」は恋愛小説として単体でも読める美しい巻なのだけれど、「超」がつくほどスローテンポで話が進んで行くので何処まで読めたか心許ない。

……戯れに手元にある鈴村和成のテクストを引こう。

同じように「あなたは恋しているのですか」と問うことはむなしい。恋とは「われにもあらず」、「不意を突いて」、「知らぬ間に」起こる出来事であるのだから。恋しようと思って恋することはできない。プルーストとデュラスが繰り返し言うように、すべての恋は”無意志的な”恋である他ないのだ。

人の無意識は擬装――シミュラークル――を通してしか窺い知ることはできない。恋が無意識の領域に属するものであるなら、恋のすべてのあらわれは幻ということになろう。恋する人は相手の擬装をしか愛することはできない。それはすみずみまで演技と仮面、鏡の張りめぐらされた仮想現実(ヴァーチャル)の世界なのだ。

一年前に彼女と出会った時のことを思い出す。それはもちろん予期しない出来事だった。発達障害者の当事者として会合があるので参加して欲しい、と誘われてなんとなく参加することにしたのだった。そこでの出会い……彼は落語のように自分の半生を語った。彼女から少なからず興味を抱かれたらしい、と彼女の母親を通して言われた。

村上春樹スプートニクの恋人』だっただろうか。恋とは暴力的なものであるという、如何にも村上春樹らしい比喩で表現された下りがあったことに引っ掛かる。彼にとって出来事はいつだって唐突なのだけれど(いつ彼が死ぬかも分からないのだから!)、そんな運命が起こったことに彼自身不思議さを感じる。こういうことがあるのが人生か、と。

彼から誰かを恋したことは……あっただろうか。二度覚えがある。一度目は東京まで行った。二度目はネット恋愛、そしてこれが三度目……しかし三度とも結局は彼は「相手の擬装をしか愛すること」しかしなかったような気がしている。彼女のナマの姿を受け容れられたのか?

「それはすみずみまで演技と仮面、鏡の張りめぐらされた仮想現実(ヴァーチャル)の世界なのだ」……彼女の中に「幻」を見ているのだろうか? その「幻」しか愛し得ていない、つまりこの恋(と言い切ってしまおう)も結局は不毛な営みなのか。そうすれば永遠に彼の欲望は満たされないことになる。

だが、その欲望が虚しいものであれ誰かに対して解放されること自体は許されることなのではないか? 世の数多とある「小説」はそのようにして書かれたものなのだろうと思う。彼がこうやって書き続けているテクストもその一環だ。このどうしようもない苦しみが一旦でも癒えればと思って書き続ける。

……そして? その宛先は何処に行くのかなんて分からない(また東浩紀存在論的、郵便的』を読み返すべきだろうか……)。四度目の出会いで彼は本当に求めていたものにたどり着けるのだろうか。それはしかし運命に委ねなければならないことだ。彼に出来ることと言えば、差し当たってはプルーストを読みながら待つこと……。

今日は本を読み過ぎたようだ。ここで頭を休めなければならない。彼は My Little Lover の「午後の曳航」という曲を聴いている。三島由紀夫の同名の小説は読んだことがない……今の精神状態だと三島は読めるのだろうか。どうにも三島と彼は相性が悪いのだ……。