There She Goes

小説(?)

I'm Not In Love / There She Goes #29

The Original Soundtrack

The Original Soundtrack

 

われわれが恋と呼んでいるものは、それがある女性を対象としているかぎり、さほど確たる現実ではないのかもしれない。

――マルセル・プルースト吉川一義訳『失われた時を求めて』第四巻

シェアハウスに移って一ヶ月以上経つ。この話はしただろうか? 彼は当初、シェアハウスでの孤独な生活に耐えられるようにと思ってドストエフスキーを持ち込んだのだった。『罪と罰』は既読だったのでそれ以外の『悪霊』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』……それらを読もうと思っていたのだった。彼はなんでも読めるというタイプの人間ではない。活字が頭に入らない時はとことん入らない。裏返せば冷蔵庫のマニュアルであっても、活字が頭に入る時はスラスラと入って来る。だから、ドストエフスキーの作品はシェアハウス向けに良いのではないか……そう思っていたのだ。

しかし、そうはならなかった。彼が今読んでいるのはマルセル・プルースト失われた時を求めて』なのだった。ドストエフスキーがイマイチ気乗りがしなくて部屋の片隅をサッと見たところ(本棚を、ではない。彼の部屋は本が散乱している)、吉川一義訳で岩波文庫から刊行されているものと高遠弘美訳で光文社古典新訳文庫から出ているものと二巻、置かれていた。プルーストか……そう思ってふと手にして読んでみたところ、三十代の頃に苦吟して一ページ読むのも苦痛だったのが嘘のようにスラスラと頭に入って来る。だから、どうせヒマなのだしと思って読み進めることにした。現在吉川一義訳で邦訳の第四巻に挑んでいる。むろん、読み飛ばしているところは多々あるだろう。だが、読書百遍ではないけれど再読すれば良いだけのことだと思い読み進めている。

昨日は発達障害当事者と家族の方の集いがあった。彼女と一緒に話を出来る機会があればと思っていたのだけれどそんなことにはならなかった。一ヶ月前に告白したのが嘘のように、相手からはなにも語って来ずこちらもお茶の準備で忙しくて結局なにも喋れず……で終わってしまったのだった。告白したのがなかったかのように……結局彼女にとって彼のことなんてそれだけの仲だと言うことなのだろう。告白して玉翠したことは彼女の中でノーカンなのかな、と思うとますます人がなにを考えているか分からなくなって来た。彼女も彼も発達障害当事者なのだけれど、当事者同士でも分かりにくいことはあるのだなと思った。

シェアハウスに住むようになってから、シャワーは毎日浴びるようになったし歩くようになったしでだいぶ痩せた。七キロは落ちたのではないだろうか。税肉の塊だった男が少しずつ「男前度が増した」と言われるようになった。喜んで良いのかどうか分からない。まあ、喜ぶべきことなのだろう。職場の方からは特に変化はないと言われるのだけれど、見えないところで少しずつ彼に変化は起こっているようだ。食事も満腹になるまで食べないと気が済まなかったのが、ご飯は一膳で済ませるようになったせいか食生活も変わってビンボーなりに充実して生きられるようになった。

それで昨日は彼の生活をどうするかという話になったのだった。障害者雇用で働いているので、あとはシェアハウスに移ってから障害年金を貰って本格的に自立するという手も検討してみてはどうかと薦められたのだった。そのあたり、戸籍をまだ移していないので古い住所の役所に行って相談をしなければならない。必要に応じて戸籍を移すなりなんなりしないといけない。それで一月九万ほどの月収で田舎暮らしでなんとか生計を立てられないものか……その試行錯誤で頭を痛めているところである。今日は恋とはなんの関係もないことを書くが、たまにはそういうこともあるのだと許していただきたい。

彼は良く、この環境下に置かれていることを「頑張っているね」と言われる。彼自身は頑張っているつもりは全くないのだった。発達障害と分からなかった二十代、酒に呑まれていた三十代と比べると人生はむしろイージーモードに入ったような気がする。困った時は困ったことを打ち明ける場があるし、支援施設の方が助けて下さるし一緒に例えばこれから自炊をどうするかという話で協力して下さるという話になって来るし……頑張っているというのであれば、昔の方が頑張っていた。今は自分に向いた生活を手軽に探せる。三人よれば文殊の知恵……ではないが、他の方が知恵を出して下さる。だから棚から牡丹餅が落ちて来ているような状況なのだった。

恋とはなんの関係もないことを語ってしまった。また彼女と歓談出来る場を設けて貰うべきだろうか? そのあたり自分がなにをやりたいのか分からないし気を遣ってしまうのも発達障害者(受動型)の悲しい性である。彼女は彼のことなんてアウトオブ眼中なのだろうけれど、それならそれで良い。困りごとや思い出話(高校の先輩・後輩関係であることが判明した)をするというのも、お薦めしたサウンドガーデンの曲をどう聴いたか訊いてみるのも一興かもしれない。早くも来月に至るのが楽しみである。ただ、彼女はやはり彼にとって眩し過ぎる。活躍している彼女を見ると、彼は自分が無能なようなそんな気がして来る。

そういうわけで、ここの更新もそんなに頻繁にしていないだろうということなので新しいブログを作ってみた。こちらのブログはそんなに文字数は書かない。ひと記事千文字弱かというところだ。内容も気軽に思いついたことを並べるだけという感じなので、読みやすいのではないかと思う。要はここの縮約版だと思っていただきたい。次から次へとブログを立ち上げて、読者の方がどれほどフォローされているか心許ないのだけれど(もう、独りかふたり読んで下さる方が居られたらそれで良いと思っている)、読みたいという方が居られたら是非読んでいただければと思っている。

負けず嫌い……そのことも書いておくべきだろうか。賢さということで言えば彼女の方が格段に上だろう。自分はそんなに知識もないし賢くもない……こんな口ぶりが彼女からするとダメだということになるのだろうか。このことも彼女に告白するべきなのだろうか? それとも LINE のグループトークで語るべきなのだろうか。取り敢えず彼女とは会えないし LINE で連絡しても梨の礫なので、困りごととして自分のことを語るかどうか悩んでいる。そこで決められない時に思い出す台詞があるのだ。是枝裕和『海よりもまだ深く』での「勝負しろよ勝負!」という言葉である。ここは勝負に出るべきなのかもしれない、