There She Goes

小説(?)

ONCE AGAIN / There She Goes #28

マニフェスト

マニフェスト

 

彼は今年で 42 歳になった。世間一般の四十代と比べると随分違った人生を歩んでいるものだと思う。年収は百万円台。その代わり随分ヒマな人生を歩んでいる……これはしつこく書いた通りだ。世の中働き過ぎて死ぬ人も居るのに自分と来たら……と書くと彼女は「また自分のことをボロクソに書いている」と呆れるだろうか。しかし罪悪感は消えることはない。メンタル面の問題を抱えて、それに加えて発達障害という重荷を背負って生きているのだけれど、これで精一杯だと思う反面もっと働ければと思うこともある。長時間労働を目指して頑張っているつもりなのだけれどなかなか上手く行かない。

なにかのウェブサイトで読んだのだけれど、発達障害者で働けているという人は――一般就労のみならず、作業所で働いているという人も入れても――四割だという。六割がなにもしていない。まあ、ニートか引きこもりか精神疾患かいずれかの理由で働いていないのだろう。しかも四割も安泰かというとそうではない。離職率が高い。キャリアが点々として続かないのが発達障害者の特徴となるらしいので、彼のように一箇所の会社で二十年近く続いている人は珍しいというのである。その言葉に甘えてしまって酒に溺れてダラダラと過ごしていた時期のことを考える。そんな自分が恥ずかしい。

過去は取り戻しようがないので「今」を生きるしかない……そう思い、やり直しの効かない人生だからこそ「今」を一生懸命生きているつもりだ。出来るだけのことをやろう……「今」最高のパフォーマンスを出せているか、「今」出来る限り沢山の本を読み映画を観て、仕事をしているか。それが未来を形作る。そう思い、たった五時間の仕事を完全燃焼する勢いでこなしている。そしてヒマが出来た場合その時間を映画や本に当てている。ムダにはしたくない。だから「今」という時間を満喫しているつもりで居る。将来のことはあまり考えていない。

政権は自民党が握るらしい。多分彼を待っているのは老後も年金生活なんて遠い夢の話になるのであって、年老いても働かなくてはならないようなそんな未来なのだと思う。それについて考えると暗澹としてしまうのだけれど、例えばフランク・ダラボンショーシャンクの空に』でアンディが頭の中のモーツァルトを鳴らして刑務所生活を乗り切ったように彼の頭の中にもプルーストが入っていればそれだけで人生捨てたものではないのではないかと思っている。あるいは舞城王太郎でも良いし阿部和重でも良いのだけれど、そういう作家たちの優れた本が入っていればそれで乗り切ることも出来るのではないか、と……。

彼女のことを話しただろうか? 彼女は彼が住んでいる町でいずれ起業するつもりらしい。彼も彼女の会社で働くことが出来れば……そうとまでは行かなくても彼女となにか出来ればと思っている。彼女とは LINE の連絡先やメールアドレスを教わったので、彼からなにかアプローチが出来ればと思っているのだがなかなか上手く行かない。いずれにせよ、未来はどう転ぶか分からない。去年の彼は彼女と出会うことなんて想像もしていなかったし、彼女との出会いが彼をこんなにも変えることもシェアハウスのことも想像していなかった。これだから人生は分からない。

彼は自分の人生のことを考える。さっきも書いたように 42 年の人生を生きて来た。振り返れば子どもの頃から彼は自分が進歩していないようにも感じられる。俗に言う「42歳児」……幼稚園や小学校時代から彼は変わっていないように感じられる。大人になりそこねた、幼稚な人間……子どもの頃の延長上で本を読んだり音楽を聴いたり、あるいは四十代になってから映画を観たりし始めたりしているのだけれど、こんなになにも変わらない人生で良いのだろうかと思ってしまう。立ち居振舞いは変わったのかもしれないが、本質は変わらないままだ。

遥か昔、四十代は自分にとって手が届かない位置にあった。自分が四十代まで生きることを想定していなかった。四十代半ばで酒に溺れて死ぬのだと思い詰めた時期もあった。今はそんなことは考えていなくて、差し当たっては生き直すつもりでシェアハウス暮らしを始めているのだったが、むしろ人生はこれから始まるのではないかという気さえしている、もう高度成長期やバブルの時代は終わった。右肩上がりの人生なんて続かない。彼はもう若くないが、人生における可能性はむしろ広がったような気さえしている。なりたいものにはなれないだろう。だが、高望みさえしなければまだまだ生きられる……。

子どもの頃、彼は大人になるということがどういうことなのかイメージ出来ていなかった。「なりたい職業を書きなさい」と言われてもなにを書いて良いのか分からなかったので「お父さん」と書いて笑われた思い出がある。今は大人になってしまったわけだが、「大人になった」と言えるかどうかと考えると甚だ心許ない。もしかしたら彼は今でも子どものままの、外見だけが中年男になってしまった人間なのではないかと考えることがある。いつまでも若いつもりで居るというのも考えものだ。年相応の振舞い方というのもあるのだろう。彼はしかしそれを身につけられていない。

台風の夜。彼は夜中に起きて映画を観始める。オリオル・パウロ監督の『インビジブル・ゲスト 悪魔の証明』という映画だ。そしてそれにも飽きて来たので一旦中断してこの小説(?)を書いている。枕元のランプを買わなくてはならないなと思いながら……あとペイヴメントの『クルーキッド・レイン』のデラックス・エディションを実家から持って来なくてはならないなと思いながら。これまでの人生はこれまで。限られた選択肢の中を精一杯生きて来たから今がある。だから今からは悔いのない人生を精一杯生きようと思う。自分の人生のルールは自分で作る……そう思いながら。