There She Goes

小説(?)

スターゲイザー / There She Goes #25

Dream A Garden [帯解説・ボーナストラック収録 / 国内盤] (BRC460)

Dream A Garden [帯解説・ボーナストラック収録 / 国内盤] (BRC460)

 

自分がどうなりたいのか分からない……それが発達障害者の中でも取り分け受動型と呼ばれる人間の特徴である。彼はそれに該当する。彼は自分が空虚に出来ていることを感じる。彼の身体/脳を構成しているのは他人の言葉である。彼は彼に向けられた自己評価を彼自身の自己紹介にしている。逆に言えば彼は彼を語る如何なるオリジナルな言葉も存在しない。彼自身から生まれた言葉はない。ジャック・ラカンの概念を使えば人間の無意識は言語に依って構成されているというが、そこにもうひと言つけ加えるべきだったのかもしれない。彼の無意識は他人の言語に依って構成されている、と。

今日彼女と会うことが出来た。二ヶ月この機会を待った。二ヶ月の間考えていたことを語った。彼は情動に任せて動く人間なので論理で物事を考えない。情動が、ワケの分からないものが彼を動かす。その意味では彼はフランツ・カフカに似ているのかもしれない。カフカはしかし偉大なユーモリストであったけれども、彼自身はどうだろう。彼はユーモアはあるだろうか。分からない。ただ、彼は自分を見つめてこのように観察して描くだけだ。それがなにかを生むというのであればそれで良いし、そうでなくても構わない。

彼女に告白して、彼女の返事を聞き出そうとした。返事は聞けなかった。彼女は恋愛を論理で考える人間なので、いきなり彼の言葉、情動から出て来た言葉を聞いてもワケが分からなかっただろう。ひとまず彼は自分の持てる知識を総動員して言葉を並べた。彼女はざっくり言えば理系の人間、科学的にアプローチをする人間なので文系の彼、情動からワケの分からないままに突き動かされるがままに動く彼を理解することは難しかったに違いない。観て来た映画や聴いて来た音楽、読んだ本について、乏しい知識を全て並べた。

初対面に近い彼はこのようにして醜態を晒した……と書くと、このような自虐を彼女はどう思うだろう。彼は自分の自己評価を低く見積もっている。彼は自分がなんらかの意味で「通」であったこと、「マニア」であったことはなかったと思う。これからもないだろう。彼は結局白鳥になれない醜いアヒルなのだ……と書いてしまうのが彼の悪癖だ。普通なら恋する(?)相手に対して自分を高く売り込むものなのだろう。それが出来ないのだった。それで良いじゃないか……彼女ならそう言うかもしれない。そういう人が居ても良い……。

頭木弘樹カフカはなぜ自殺しなかったのか?』を読んだことを思い出す。カフカもまた恋人に対して自分を低く売り込んで、そのくせ積極的にいきなり近く自分をアプローチさせた人間だったのだ。そこでシンパシーを感じる。読み返してみようかと思う。あるいは、今の彼はまた新しい形で苦悩を抱えているのだからドストエフスキーが身に沁みるかもしれない。ドストエフスキーは『罪と罰』を読んだ。『白痴』を読んでみようか……ドストエフスキーの『罪と罰』で狂った情動に突き動かされる男たち(それに反して、ソーニャのなんと清らかなことか!)の姿を思い出す。

自分のことを彼は結果としてボロクソに言ってしまい、なにもそこまでと彼女に呆れられたのだったが、ともあれ彼は成功したのかもしれなかった。最後に彼は、彼女のことをSではないかと睨んだ。残酷に容赦なくしかし優しく(いや、残酷さと優しさは両立するものかもしれないが)彼女が放つ言葉が胸に突き刺さったのだった。だったら、生きた時から苦行を背負わされてそれを快楽に変換させることで生き延びて来た彼にとって相性は合うのではないかとも思ったのだった。それを話すと彼女は崩れ落ちて笑った。言って良かった言葉なのかどうか……ともあれ彼は言ったのだ。

シェアハウスの新しいパソコンで彼はこの文章を書いている。火花が散るような、刃と刃がぶつかり合うような会話のあとに彼は放心状態になってしまった。なにも手につかず、本来ならひと眠りしたら良いのかもしれないくらいに脳が疲れてしまった状態で Jam City 『Dream A Garden』を聴いている。やったことと言えば Twitter でタイムラインを眺めたことくらいだった。国政が動く選挙の話題で賑やかなタイムライン。だが、彼は選挙がいつ行われるのか知らない。彼の知識なんてそんなものだ。威張れたものではない。

結局彼はその会話のあと放心状態になったまま近所のスーパーで夜食を買った。そしてそれを食べた。そして今に至る……彼が晒した醜態を彼女はどう思うだろう。それとも彼女は Jam City を聴いてくれているだろうか。彼は彼女に『Dream A Garden』を薦めたのだった。思い込みが激し過ぎる……反省している。それがしかし彼を突き動かす原動力なのだとしたら、恥じることもないのかもしれない。そんな人間が居ても良い。彼女ならそんな事実を再確認して終わるだろう。それで良い。彼もそうなのだと思っている。

誰かにとって特別な人間でありたい……彼が結局満たされなかったのはそんな願望であることに気がつく。しかし誰にでも「特別な人間」であって欲しいとは思わない。彼女にとって「特別な人間」であれば……だが、それは結局無理だったようだ。彼は図々し過ぎて嫌われたのかもしれないし、あるいはこっちの方がありそうな可能性が高いのだが「そういう人」と見做されたのかもしれなかった。「そういう人」、そしてそれだけの人……そうだとしたら、そこに好きも嫌いもない単なる無関心があるだけなのだとしたらそれは失恋よりも残酷ではないだろうか。

手が届かない星を求めて、船から手を伸ばし海に落ちた男……李白がそのようにして亡くなったのではなかっただろうか。彼も同じ愚を犯したのかもしれなかった。自爆……いや、「自爆」と捉えるその感覚も彼女は無駄な自虐と捉えるのかもしれないと彼は思った。だというのなら、そしてそれで良いというのであれば、それで良いのかもしれない。しかし、納得が行かない。彼は常に彼であることに居心地の悪さを感じ、情念が突き動かすがままにこの言葉を並べ立てている。彼は多分一生手が届かない星を夢見る男なのだ。彼がどんな高みに立っているか知らないままに。