There She Goes

小説(?)

話して尊いその未来のことを / There She Goes #24

Strange Fruits

Strange Fruits

 

彼は明らかに異常なのだろうと自分のことを考える。ど田舎で四十代で未婚で親と同居(近々出て行くつもりはあるが)、年収百万ちょい……そして取り憑かれたように本を読みまくる日々を過ごしている。まともなカタギの勤め人とは全然違う。彼が結婚を本格的に考えるとなるとその意味ではかなり苦労するのだろうし、だから結婚もなにもかも諦めて独りで死ぬつもりで生きて来た。その日が楽しければそれで良いと思い、酒に溺れて来た。今、彼はとある出来事が切っ掛けとなって酒を止めているのでそんな未来は取り敢えず回避出来そうだ。

そして、彼女のことを考える。今日 LINE で彼女の母親から彼女の様子を聞いた。精神的に不調で会社にも行けていないらしい……そう聞くと彼女のことが心配になって読書が手につかなくなってしまう。なにを読むべきか迷い、舞城王太郎『深夜百太郎 出口』を手にするも捗らない。また活字が頭に入らなくなってしまったようだ。しょうがないので夕食後彼はうたた寝をしてしまって、そして目を覚ましてこのテキストを書いている。彼女とは日曜日会うことが出来たはずなのだけれど、台風が来るので無理っぽい。彼女にメールは送ったものの、無理な返信は不要であることを彼は伝える。

彼にどんな未来が訪れるものか彼自身には分からない。こんな時代はかつてなかったからだ。北朝鮮からミサイルが飛んで来たり、未曾有の景気を――彼は経済音痴なので今が好景気なのか不景気なのかも知らないのだが――体験したり、彼のような発達障害者への支援が高まり研究が進んで、千葉雅也や國分功一郎といった論者が発達障害について語る時代……そんな時代を彼は知らない。今が戦前に酷似しているというのは辺見庸『1★9★3★7』を読んで知っていたつもりなのだが、しかしこれからのことなんて一体誰に分かるというのだろう?

彼女のことを性的対象として捉えるつもりはない。彼女とエッチが出来たら……なんてことは考えない。それはこれまでも散々書いたことだ。彼の性癖はこじれていてそれもあって彼は自分のことを異常だと思っているのだけれど、変態呼ばわりされて喜ぶ趣味は彼にはないのでつぶさには語るまい。ともあれ、彼女は彼にとってアンタッチャブルな存在であることを書いておけば良いだろう。彼女から感じられるオーラが今度は剥ぎ取られて、まともに直視出来るようになっていれば良いな……そう彼は思う。考えはこうして堂々巡りを始める……。

彼女が自分のことをどう考えているのか、彼は気になる。彼に宛てて送られたメールでは自分のことを一アスペルガー症候群として捉えているということなので、あまりそういう考えを固めてしまうと罠から抜け出せなくなるのではないかと返事を書いた。もう書いたことだが、ひとりひとりの「差異」がありあるいはアントニオ・R・ダマシオ的に言えば「情動」、もっとざっくり言えば自分は他の人とは違うという直感や自覚が先行してあって発達障害やその他の「アイデンティティ」はそれに続いてやって来るものなのではないか、と思ったのだ。

難しいだろうか。要は「みんなちがって、みんないい」なのだ。彼と彼女も発達障害者として結ばれているかもしれないし、それどころか日本人として、あるいは地球人として結ばれているのかもしれない。しかし、彼と彼女は違う、相互に異なるところがあることを認めて「ひとつ」にはなれないことを確認するのも大事なのではないかと思うのだ。例えば千葉雅也『動きすぎてはいけない』が教える通り、生成変化するにあたり『動きすぎない』というのは、過剰に自己破壊し、無数の他者たちへ接続過剰になり、そしてついに世界が渾然一体となることの阻止である」……。

彼女は『新世紀エヴァンゲリオン』を知っているだろうか、と彼は考える。旧劇(という言い方で良いのだろうか?)の劇場版でひとりひとりが液状化し溶け合う世界を彼女は知っているだろうか、と。自分も相手も居なくなって液状化してしまった世界……『新世紀エヴァンゲリオン』には問題も多いとは思われるもののなにはともあれそうしたヴィジョンを見せたことは成功であることは疑わない彼は、相互に異なることの重要さを知って欲しいと思う。分かり合えないことの尊さ……それを知って欲しい、とも。そして、彼が関心を持っているラカン精神分析にも思いを巡らせる。だがこれについては更に考えを煮詰めることが大事だろう。

ここまで書いたことを彼は読み直す。前に書いたことを焼き直しているようでもある。一ヶ月、彼女と会ったあとにこの小説を再開しても良いのだろう、とも。それまで考えは迂回し続けるだけだ……あるいは彼女からメールの返事が届いたら、それを読んだら励まされるのではないかとも思う。もしくは絶望するか……いずれにせよ今はここで考えが止まるので、進展があるまで彼は彼のやり方で生きる/サヴァイヴするしかない。未来のことなんて誰にも分からない。だから彼は今日を大事に生きようと思う。そして今日も酒は呑まなかった。

昨日は断酒会に行ったのだけれど、断酒会に行けば酒が「やまる」のを感じる。「やめる」のではなく「やめさせられる」のではなく、「やまる」……雨や雪が「やまる」ように収まる。不思議な力があるものだと考えてしまう。これを國分功一郎は「中動態」と呼んでいたのではなかっただろうか、と彼は考える。意志ではないなにかが統率する言葉、能動でも受動でもない「中動態」……人との関係は不思議な力をもたらす。だが、それは果たして進歩なのか衰退なのか、病理を拗らせているのか治療に向かっているのかは誰にも分からない……。

ふとここで一極聴きたくなる。だから Chara を聴こうと思う。「話して尊いその未来のことを」だ。高村光太郎が書いたような歌詞を歌う Charaシューゲイザー的なサウンドに彼は陶酔感を覚える。この続きを書くのが明日になるのか一ヶ月後になるのか、それは彼にも分からない。