There She Goes

小説(?)

邪悪なものそして花たち / There She Goes #18

evil and flowers

evil and flowers

 

「The boy with the thorn in his side / Behind the hatred there lies / A murderous desire for love」……彼の好きな曲のフレーズ。訳を収めた本が手元にあるはずなのだけれど、それが様々なモノが散乱した部屋の中で見つからない。なので彼は自分で訳すことを試みる。「心に茨を持つ少年/憎しみの影に存在するのは/殺意にも似た愛への渇望」……ダメだ、しっくり来ない。中川五郎氏はどう訳しておられただろう? いずれにせよこの歌詞が示す通り、かつてそこには独りの少年が存在していたことを記録しておく必要がある。彼は「愛への渇望」を抱いていたのだ、と。

彼は「恋愛小説」らしきものを書いたことがある。彼は一時期筆で食って行きたいと思っていたのだった。だから彼は「恋愛小説」を読み漁った。フローベールボヴァリー夫人』、村上春樹ノルウェイの森』、等など……しかし彼はそれらの小説で描かれている男女の遊戯が「恋愛」なのかどうなのか、遂に分からなかった。エンマと直子がそれぞれ「恋愛」をしているのか、彼女たちの相手になる男が「恋愛」をしているのか。『ノルウェイの森』に関してはトラン・アン・ユンに依る映画版を観たこともあったが、スットコドッコイな映画だなという印象しか抱かなかった(最近観た『ラ・ラ・ランド』に関してもそんな「スットコドッコイな映画」という印象しか感じなかった)。

だけれど、「恋愛」を書けなければベストセラーにまで登り詰められるような作品は成立しない。なので彼は必死に小説の登場人物に「恋愛」らしきことを真似させようとした。場合に依っては彼自身体験したことのないセックスまで体験させた。「Confusion Is Sex」……セックスという関係の中に落とし込んでしまえばそれでインスタントに「恋愛」は成り立つものだと思っていた。『ノルウェイの森』なんて殆どがセックスの話ばかりなので、「恋愛」の副産物としてセックスが成り立つことはあれどセックスの副産物として「恋愛」が成り立つとは考えにくかったのだった。

だから、彼の書くものは結局ポルノグラフィに終わってしまうのだった。酷く安っぽい……彼は性欲を感じることはあった。だから辛うじて彼自身は自分の性を(あるいはアイデンティティを)「ヘテロセクシュアル」と位置づけることが出来たのだけれど、性的な意味においてそれをオープンにさせることは出来なかった。それどころか拗れてしまった。自分がマゾヒストであることを彼は恥じている……この話題についてはこれ以上触れるのは今は止めておこう。どうしても必要であるなら話すことにして、本題に戻りたい。

彼女のことを考える。彼自身は彼女とセックスしたいとは思わない。彼女のことを、例えば(下品な言葉になるのだが)「そそる」女だと思ったことは全くない。彼女はむしろ清らかな女性だと考えている。性愛抜きにそういう「恋」という感情が成立し得ることに彼は驚きを感じている。あるいは彼女の賢さ/賢明さに彼は逆に畏怖を覚えているだけなのかもしれないのだが……知的に割り切れる感情とは必ずしも限らないのが「恋愛」の要諦なのだとしたら、彼が抱えるこのモヤモヤをどう考えれば良いのだろうか。性欲とかそういうのではなく、「言葉」をこそ欲するというような気持ち……。

二階堂奥歯という、自殺で自分の生を閉じた女性の日記のことを思い出す。二階堂奥歯は自分を一冊の書物になぞらえたのだった。生まれた日数以上の本を読んで来たと豪語する彼女の言葉に相応しいと思う(そう思い、彼は部屋の中を見渡すが遺稿となった日記『八本脚の蝶』はやはり探しても見つからない)。彼が好きになった彼女もまた彼にとって読まれるべき一冊の書籍であり続けている。書籍と女性を一緒にする……怒られるのかもしれないが、それはなんだかある意味ではヴァルター・ベンヤミン的な発想のようにも思う。

セックスの話から自殺の話へ……そこに彼女が居るだけで尊いということを、しかしどう彼女に伝えれば良いのだろう? それが綺麗事などではなく、彼女が自分で命を絶ってしまえば本当に彼にとって大事なものがごっそり持って行かれるような経験を意味するということを……分からない。彼は今 LINE のグループで自殺に関する記事を投稿したところだったので発想は取り留めもなくセックスから自殺の話へと変わってしまう。自殺したいという渇望とセックスしたいという渇望……このふたつは似ているのだろうか?

「Is there any reason not to die / If this love I feel must always be denied?」……彼はまた新しい歌詞を連想する。「僕が感じているこの『love』がいつも拒絶されるのであれば/死なない理由など存在するのだろうか?」と彼は試訳を試みる。「この『love』が」……不自然な言葉になるが「love」を「恋」と「愛」とどちらと訳して良いのか分からないのでこんなぎこちない訳になってしまった。彼が感じているこの感情は「恋」なのか「愛」なのか。それとももっとおぞましい「欲望」に過ぎないのか……ダメだ。手詰まりだ。違うことを考えないと。

彼の精神状態を示すかのように部屋は混沌としているので、仕方がないので手当たり次第に読んだ本は捨てることに決めて彼は彼女に伝えたい言葉を考える。「そこにいてくれてありがとう」……これ以上の言葉を彼は結局考えつかない。彼はその言葉が自分から放たれることを滑稽に感じる。彼は自分が必ずしもモテる人間だと思わないので……邪悪な人間だとさえ思っているので。邪悪なものがしかし花に手を伸ばしたとして、それはしかし決して虚しいことではないはずだ。それが虚しいことなのだとしたら、この世に虚しくないことなんてあるだろうか?