There She Goes

小説(?)

博士の異常な愛情 / There She Goes #16

Dr.Strange Love

Dr.Strange Love

 

一週間なにも書かなかった。だからと言って忙しかったというわけでもない。書こうと思えば書けたのである。「書こうと思えば」……問題はそう思えなかったというところにある。彼は書く気が起きなければ書かないのだ。毎日継続してなにかを書き続けるということは到底出来そうにない。だから一日一時間であっても書くために――トルーマン・カポーティは四時間費やしたことをふと思い出すのだが――時間を割くことを面倒に思う。書かなくては巧くならない、というのであればそんな「巧さ」という要素は彼は要らないと思っている。書けるのであればとことんド下手に書きたい。ペイヴメントの音楽のように。あるいは彼は気に入らないが、ソニック・ユースの音楽のように。

彼女のことを思い出す。彼にとって彼女は、その彼女らしさを用いて自在に世界を切り開いて存在しているパイオニアのような存在だった。彼女がそこに居てくれるだけで勇気を貰えた、と書くと大袈裟に過ぎるだろうか。彼女自身、そうありたくて彼女であるわけではないのかもしれない。それを過大に評価してしまうと逆に失礼というものなのかもしれない。彼が彼らしくあることを彼自身が嫌がっているように……でも、彼は彼女が彼女らしくあることを受け容れたい。そういう感情に相応しい言葉なのであるのだとしたら、彼女を「愛」したい。そう思っている。

読書は遅々として捗らない。山本太郎編『ポケット日本の名詩』を読んでいるところだ。日本の詩のアンソロジーを読むのは何冊目になるか分からないのだけれど、色々な本の冒頭に載せられる島崎藤村の「初恋」から始まるこの本を手に取り、「初恋」という詩について考える。甘ったるい詩としか思えなかった「初恋」が、何故か彼の心理にフィットするように感じられる。七五調に整えられた詩のリズムの美しさ、そして「まだあげ初めし前髪の」というイントロの美しさに、ベタと言えばベタなのに何故か無視出来ないものを感じる。当面はこのアンソロジーを読むことになりそうだ。

彼は子どもの頃に、「君の口調は大人っぽい」と言われて笑われたことがあるのを思い出す。それが不条理に感じられてならなかった。彼は大人から学んだ言葉を使っていたのである。英語を喋っている家庭に生まれ育った子どもが日本語圏の環境であれ英語を英語らしく発音したところでなんの不思議があるだろう。子どもは大人たちに依って成り立った世界――ラカン、あるいは斎藤環風に言えば「他者の語らい」の中――に生まれ落ちてそこから言葉を外部に位置するものとして取り込んで大人になるのである。その言葉が大人っぽいものになったとしたとして、不思議はないだろう。

彼女のことを思い出す。彼女の喋り方の一種のクセ、独特の個性……個性という言葉で片付けるのは乱暴に過ぎるかもしれないのだけれど――彼も、自分の風変わりな箇所を「個性」という言葉で片づけられるのを思うと恥じらいの念を覚えるのだけれど――そのひとつひとつが忘れられないものとして残っている。あの言葉を聞くために、歯切れの良い喋り、理路整然とした語りを聞くためにならもう一度お会いしたい……その気持ちもまた、「恋」なのだろうか。彼の考え方はそこで止まっている。これ以上掘り下げるのではなく、別の出来事を考えた方が良さそうだ。

別のことを考えよう。

一万以上のリツイートといいね。彼はそんなツイートをしたことがない。これからもないだろう。彼はそんなに大袈裟なことをツイートしたというのだろうか? このツイートの背後にあったのは彼が住む隣町で笹森理絵の講演会があった時のことを思い出したからだ。笹森の言葉から彼は、例えば数列が羅列されて書かれているプリントを見て絶句してしまいなにから手をつけて良いか分からなくなる発達障害者の障害児のことを考え、障害児にも分かりやすいように(つまり「ラクに」)問題を解く術はないかと思ったからである。

障害者が困難を乗り越えて頑張って……なるほどそれは感動的なことなのだろう。彼はここ数年24時間テレビを観ていない。その時点で彼はフェアではない(観てからツイートしろよ、と言われたが彼自身そんなに深刻に構えてツイートしたわけではない)。彼は上述した観点から、障害者が如何に困難を乗り越えずに「ラクに」生きられるように環境を整えるか、それを考えたかったのだ。だからそんなツイートをしたのだ。するとあっという間に拡散された。本当にあっという間だった。為す術もなくあっという間に……。

彼女のことを考えた。彼女ならこんな局面においてどう振る舞うだろう? 彼女はこの意見にどう意見を語ってくれるだろうか? それを考えてみたのだけれど、特に考えが捗るわけでもなかった。活字がやっと頭に入るようになったと思った途端にこれである。本当に人生において、なにが起こるかは未知数である。二年前、あるいは三年前に彼は自分が酒を止めているとは思っていなかったし、まして恋(?)に落ちるとも思っていなかった。恋の病(?)に苦しむとも、あるいはそれを楽しむとも……彼女にはしかし彼女の恋路があるし、人生がある。それを邪魔するわけにもいかない。

グレイス・ペイリーの短編集の邦訳が出たということで、これまで積んでしまっていた二冊の短編集の文庫版にも手を伸ばさなくてはならないと思っていたのだった。今日、彼は自分の喋り方をバカにされた。大嫌いな「善意」。彼はしかしそれで世を拗ねてしまうのにも飽きた。ミサイルが飛んで来たという歴史的な今日みたいな日に彼が書くのがこんな他愛のないことというのも妙な話だが、他に書くこともないのだから仕方がない。彼はただひたすら今出来ることをやる。それだけだ。彼女と会うまでの待ち時間を、例えばボードレールを読むとか……。