There She Goes

小説(?)

SO WHAT!? (EXTENDED FULL POWER DIGITAL MIX!!) / There She Goes #12

 

lost decade

lost decade

 

……あれから、焦燥を抱えながら過ごし疾風怒濤のような一ヶ月を送った。仕事の休憩時間中にスマホをチェックすると、彼女の母親からメールが届いていることに気がついた。内容を見ると、結論から言えば彼女は夏風邪を引いたとのことで今度の集会には出席出来ないとのことだった。つまり、彼が会う機会は一ヶ月先延ばしになった。ホッとしたような気分になった反面、またこの長い一ヶ月が過ぎるのかと思うと気が遠くなった……こんな時はやることなすこと見事に狂う。今日は大澤めぐみ『おにぎりスタッバー』と森敦『月山・鳥海山』を買った。そしてどちらも見事に頭に入らず……本当にイライラしながら一日が閉じられるのを待つことになった。

結局のところは彼がじっとしていられないことにあるのだと思う。じっとしていられないこと……今日も彼は勤務先に行き本を読もうとした。他にやることもないから……しかし尽く活字が頭に入らなかった。結局最果タヒの『空が分裂する』を読み、そして止めてしまった(この詩を語るべき言葉は、今の彼の中にはないと思った)。どうしたら良いのだろうか……自分でも自分がなにを困っているのか明確に整理出来ない。周知のように、その人の中で整理出来た段階で悩み事というものは解決しているものなのだ。だから彼も自分の中で整理することを試みる。例えばピチカート・ファイヴ「セックス・マシーン」を聴きながら……。

しかし、整理しようとすればするほど彼の中には混沌としたものが残ることに気づかされる。その「混沌としたもの」こそが彼を彼足らしめているものなのだとするなら、彼の探求は結局は何処にも辿り着かない不毛な試みとしてしか残らないものなのだろう。なにはともあれ外的には一個の個体として置かれている自分自身の複雑に分裂した内面を叙述し、そして整理して行く作業……それが何処まで生産的なものとなるのかは考えまい。人生、突き詰めて言えば結局は「ヒマ」でも「アンニュイ」でも良いのだけれど、それを埋める作業なのではないだろうか、と。凡庸な言葉になるが、死ぬまでの「ヒマ」潰しとしての人生……それもそれは悪くないのではないだろうか。

どうしたら良いのか分からないまま、様々な人に自分の恋の病(?)の話をした。それはこれまでも書いた通りだ。理知的に整理出来ない感情を理知で抑える……それこそが彼がこの文章を書いている動機なのだとしたら、それは理知で遂に抑えられないマグマが彼の中にもあることを確認することにも繋がるのではないか、と考える。理知で抑えられないマグマ……彼はそんなものが彼の中にあることに驚かされるのだ。それは例えば情欲や性欲、購買意欲やアルコール依存などで抑えるものなのだろう。だとすれば彼には全てのライフラインが禁じられていることになる(ついでに書けば、彼は女性と手を繋いだことすらない)。ある意味では裏目に出る行動をやってしまったし、ある意味では前向きに話が転がる展開にもなったような気がした……どっちが良いのか分からない。まあ、傍迷惑であるという自覚くらいは彼にもあるのでそれはそれでお互い様だと思うばかりだ。

ここまで書いたものを読み返してみる、聴く BGM はエリック・クラプトンの『アンプラグド』が良いのだろう。そして、結局彼はここまで書いたものが結局「恋」らしきもの――絶対に「恋」だとまでは断言はするまい――をめぐるあやふやであって、そんな感情に取り憑かれたことがないのでリアルでそしてネットで迷惑を掛けてしまっていることを悟る。そして、人の定義に自分を合わせようとするからおかしなことになるのだというお馴染みの結論に達する。自分の人生のルールは自分で決めるべきだ、というチャック・パラニュークの言葉を思い出す。

だがしかし、と彼は思う。「例えば図書館に行こう。彼好みの賢い女性が居るよ」と言われたこともあるのだったが、彼女は取り替えの効かない存在なのだ。彼女とフラれたからと言って、家電を容易く買い換えるように「じゃ、次の女性」とはならないのである。なるほどそこには彼女より賢い女性が数多と居るのかもしれないが、彼女は彼女である。それを他の女性で代用するなんてことは出来やしない。だかラ困っているのである、彼女を彼女足らしめているものとはなんなのあろうか。それもまた解かれなければならない/解くことが出来ない謎なのだろう。

堂々巡り……彼の中にはそうした思考のループ回路が出来ているらしい。同じことを繰り返し考え、それを人は「個性」と呼ぶらしい。「個性」……口当たりの良い言葉だ。だが、それは結局社会が許す範囲内での「個性」ではないだろうか、と彼は思う。逆に言えば何処までも「個性」を発揮していたとしても社会が許さなければそれは異常なのだ、と。彼は社会に適応する術を身に着けてしまった。「学習」して学んだと言えるだろう。普通の人が難なくやれることを、彼はわざわざ学んだというわけだ。かなりコストパフォマンスの悪いやり方で。

そういうやり方で適応した人間には、それなりの障害がつき纏う。適応障害……今日も彼は仕事をした。身も心もボロボロになってしまった……彼女のことを考える。巧く生きられているのか生きられていないのか分からない彼女の神秘のことについて考える……いや、これも堂々巡りだ。もう眠るべきなのだろう。ベッドに横になって明日の朝が来るのを待つのが賢明なのだろう。彼は差し当たって書き掛けのまま留めておいたこのテクストに手を入れることにする。こじらせてしまった自分の姿をあられもなく描いたこのテクストは、彼女に対する恋文になり得るのだろうかと考える。

……そんなこと誰に分かる? 今のところカクヨムではどんなコンテストも行われていない。だから、書く動機なんて結局のところはないのだ。なにも書くべきことがない状況で書くということ……それは時間の無駄なのかもしれない。でも、そんなことも誰に分かる?