There She Goes

小説(?)

世界の終わり

 

Last Heaven's Bootleg

Last Heaven's Bootleg

 

恋とはなんの関係もないのだけれど、たまにはそういうことを書いても良いのだろう。私は「世界の終わり」について考えている。こういうことを考えるのも一時的なことだと思うので、私自身書いたことを忘れて仕事をして帰宅して書いたことを思い出して驚くのかもしれないが、まあ書いておくのも一興だろう。


世界の終わり / THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

「世界の終わり」と言えばまあミッシェル・ガン・エレファントの「世界の終わり」のこととか、あと池澤夏樹『楽しい終末』とか村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』とかを思い出すのだけれど、あとはレディオヘッドの『キッドA』のようなアルバムを思い出す。「世界の終わり」が訪れた時に鳴っているべき音楽として思いついてしまうのかもしれない。

ネヴィル・シュートに『渚にて』という小説があって、これは買ったまま積んでいるのだった。これも「世界の終わり」について語られている小説なのだそうで、丹生谷貴志さんのエッセイを読んで以来読まなくてはと思っている。あとはJ・G・バラード『結晶世界』も積んだままなのだった。私の読書なんてそんなものである。

恋の(もう鍵括弧をつけるのが面倒なのでつけないが)こととか世界の終わりのこととか、あとは老いのことを延々と考えている。それで丹生谷貴志『死体は窓から投げ捨てよ』を読もうかと思って手にしてみたのだけれど進まないので、職場で読むことにする。ちなみにこの本は面白い本で二十歳ぐらいの頃に十回は読み通した記憶がある。

老いのことを考える……四十代になってしまったせいか、老いのことを意識した時に「この人生ももうすぐ終わるのだなあ」と思って、ある種のクライシスを感じているから精神状態が只事ではないのかもしれない。それで混乱しているから、こんなことを書いているのかもしれない。

なんだか精神的に不安定なので考えが纏まらない。活字が頭に入る状態ではないのかもしれないが、今日は試しにバラードの『結晶世界』でも挑んでみようかなと思っている。そんな話なのである。オチなんてない。あるいは生まれた頃のことを思い出すのも一興なのかもしれない。これに関してはダニロ・キシュ『庭、灰』に挑んでいるのと、あとリルケ『マルテの手記』も読んでみるか……。

いや、考えを一本化した方が良いだろう。それで粕谷栄市さんの詩を続けて読んだ方が良いのかもしれない。とまあ、混乱しているわけです。考えが散漫になってしまうのでこんな風に迷走しているのかな。ともあれ、もうすぐ出勤の時間なので支度をしないといけない。こんなことを考えている、ということをメモ程度に残しておく。