There She Goes

小説(?)

King Of Pain

シンクロニシティー

シンクロニシティー

 

「恋」の話をし出すと長くなるのでエントリをふたつに分けることにした。フェルナンド・ペソアの詩のようなことを書こうかなとも思ったのだが、どうやら全く違うことを書いてしまうようだ。まあ、一日に二度ブログを更新しても顰蹙を買うわけではない。なので書ける時に書いてしまうことにした。書きたくなくなったら書かなくなると思う。

今ポリスの「キング・オブ・ペイン」という曲を聴いている。歌詞の意味はさっぱり分からないのだけれど、悲しい曲だということくらいは分かる。「恋」について考え始めると、私は何故かこの曲を聴きたくなる。それは私が「恋」について考える時に、自分が独りぼっちで居ることも関係があることなのかもしれない。


The Police - King Of Pain

これまでの人生で彼女が居たことはない。それで、それはそれで満足していたのだけれど三度(今回が三度目)これが「恋」なのかな、ということを考えたことがある。異性に対して(私はヘテロセクシュアルらしい)気になってしまうのだった。

人に依っては「『それが恋なのかどうか分からない』という気持ちも含めて『恋』なのではないか」という話になるので、そのあたり辞書で定義を調べてもワケが分からないのでどう論理的に解決したら良いものか分かりかねている。

ある方から「貴方の場合は論理的に考えていけば良いですよ」と言われたので(この「恋」の話ではない)、論理的に考えているのだけれど言葉で説明のつかないものを論理的に解析して行っても話が難しくなるばかりだし、ますます謎は深まる。

そんなことを考えながらロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』という本を読んだりしているのだけれど、活字がさっぱり頭に入らなくなってしまったのでウンベルト・サバやクァジーモドや粕谷栄市さんの詩を読んだりしている。粕谷栄市さんの詩は頭に入るので二十ページほど読んだ。それで手詰まりとなった。

手詰まりとなったのだけれど、だいぶ気分的には整理がついたようだ。だから今はスッキリしている。それではだいぶ日も高くなって来たのでラーズの「There She Goes」でも聴いて出勤の準備をしようかな。


The La's - There She Goes